2016年08月07日

松山稲荷道 05

JR高崎線の踏切を渡ります。
松山街道ってな踏切名だったらイイな〜と思っていたけど、残念ながら地名を冠した上日出谷踏切でした。
旧道はちょっとだけ高崎線と並行して進むけど、後ろから合流してくる道の手前で左に進路を変えて、三菱マテリアルの工場にぶつかり消滅します。
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(上日出谷踏切)
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2016年08月05日

松山稲荷道 04

県道12号から住宅地を北西に真っ直ぐ。
迅速測図でも、旧道は中山道と日本鉄道第一区線(現在のJR高崎線)に挟まれ、同じ方角に進んでいる…ように見えます。
しかし、ビミョ〜に角度が違っていて、高崎線の踏切を渡る手前で、旧道は隣の路地に移っています。
中山道歩きでも区画整理のために消滅した旧道があったけど、今回はいきなりなのでガックリ。

旧道と合流したら、さかのぼって復活地点の写真を撮りた〜い。
左手を気にしていたら、道路に対して直角に建っているアパートがあって、すんなり旧道に移動できました。
旧道復活地点を見ると、マメトラ農機の倉庫からいきなり道路が生えているみたい。
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面白い風景。(^-^)
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2016年08月03日

松山稲荷道 03

ところで、松山以奈り道の道しるべが建っているところから旧道は右折しているんだけど、県道12号がJR高崎線を越えるのにスロープになっていて、横切ることはできません。
スタート地点の桶川市役所入口交差点に戻るのは癪なので、反対方向へ県道をくぐれるところまで進みます。
すぐ県道下の駐車場があって、難なく横切れました。
日本橋の魚河岸の人々は講を組んで、現代の社員旅行のように賑やかに旅したんだろうけど、おらは1人トボトボと進みます。(^-^;
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(県道をくぐってから振り向いて道しるべ)
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2016年07月24日

松山稲荷道 02

桶川宿を北上。
桶川一里塚跡・上の木戸跡を過ぎると、桶川市役所入口交差点です。
往時からここは追分で、『中山道分間延絵図』によると、右は村道で菖蒲2里・騎西3里、左は野道。
この先の左に「吉見領道」があるけど、迅速測図だと吉見領道より野道の方が道幅が広いです。
ということで、この野道が松山道。

8:00桶川市役所入口交差点を出発。
出発するとすぐ桶川小学校で、フェンスに囲まれた松山以奈り道の道しるべがあります。
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天保7年(1836)製で、正面に「松山いなり道 魚 本小田原町」と刻まれています。
市指定文化財。
中山道歩きで訪れた時、このノッポな道標に魅せられて、いつか歩いてみたい!と思っていたけど、いよいよ箭弓(やきゅう)稲荷神社@東松山市へ!
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2016年07月15日

松山稲荷道 01

川越道歩き以来、3年ぶりの桶川宿。
中山道に向かって桶川駅東口の狭い道を進むと空き地に案内板。
「駅前広場整備のための用地」と書いてあります。
東口は再開発の予定があるんですね〜。
バスターミナルがある西口と比べると東口は窮屈な感じだけど、昭和な雰囲気がなくなってしまうのは寂しいな〜。(^-^;

川越道の時は桶川駅前交差点を右折して下の木戸跡に向かったけど、今回は左折して上の木戸跡へ。
桶川駅前交差点から北の桶川宿は、中山道歩き以来、6年ぶりなので懐かしい。
見どころの1つ、蔵造りの商家(矢部家)や小林家住宅主屋などは健在…ってゆーか、案内板が新しくなり、矢部家の店蔵は矢部家住宅として市の文化財に指定されている!
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めでたい!
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2016年07月10日

松山稲荷道 はじめに

中山道を歩いた時、6番目の宿場桶川宿でノッポな道しるべと出会いました。
松山稲荷道。
江戸日本橋の魚市場で働く人々によって建てられた道標で、東松山市にある箭弓稲荷神社を示しています。
1つ前の上尾宿で川越道の庚申道標と出会って川越宿まで歩いたように、松山道をたどって箭弓稲荷神社まで歩きます。

歩行日:2016年 4月30日
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2016年05月20日

京街道 その1 36

淀古城跡から淀小橋跡まで戻ります。
スーパーマーケット・ツジトミ屋の裏の砂利道を通って、やけに広い府道125号を横断すると淀駅。
18:30ここで本日の旅はおしまい。
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2016年04月28日

東海道五十七次伏見宿 10

いよいよお目当ての市指定名勝勧修寺庭園。
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平安時代以来という氷室池を中心とした池泉回遊式の庭園。
かつてはもっと広かったけど、豊臣秀吉の伏見城築城の際に、新道建設のために埋められ、現在の大きさになったそうです。
休憩がてら庭園をのんびり眺めようと思っていたのに、見どころが多くてコマネズミのように歩き回って、休憩にはなりませんでした。(^-^;

さて、勧修寺の寺号は「かじゅうじ」。
勧修寺の所在地である勧修寺仁王堂町の勧修寺は「かんしゅうじ」。
ややこしい。(+_+)
しかも、「勧修寺」が頭に付く冠称地名が、勧修寺仁王堂町を含めて29カ所もある!
ややこしい。(+_+)

2016年04月24日

東海道五十七次伏見宿 09

勧修寺の続きは、市指定有形文化財の宸殿(しんでん)・本堂。
宸殿は延宝4年(1676)造営の明正院御所御対面所で、元禄10年(1697)に下賜されたものです。
付書院を備えた書院造ということで、境内に書院が2棟ある?
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本堂は寛文2年(1662)造営の仮皇居内侍所(ないしどころ)仮殿の旧材を利用して、寛文12年(1672)に建築されました。
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2016年04月23日

東海道五十七次伏見宿 08

勧修寺は醍醐天皇の勅願寺で、昌泰3年(900)母藤原胤子(ふじわら の いんし)を弔うため、胤子の母の実家である宮道(みやじ)家の邸宅を寺に改めたのが始まり。
鎌倉時代に門跡寺院となり、山階門跡とも呼ばれています。
文明2年(1470)に兵火で焼失して衰退。
江戸時代に徳川家と皇室の援助によって復興されました。

門跡寺院だけに、境内には文化財がいっぱい。
まずは書院。
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延宝元年(1673)より建てられた後西院御所の旧殿で、貞享3年(1686)に下賜されたものです。
国指定重要文化財。
書院前の庭にある燈籠は、徳川光圀の寄進と伝えられ、「勧修寺型燈籠」と呼ばれています。
個性的なスタイル。
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